あの場所で僕らが生きていた頃、世界は無限大だった

"ポップな"魔界の酔いどれ詩人Yukoの言葉たち

【第2回】創作に関する考察②個性を叫びながら大衆性を必要とする難しさ

表現欲求の根底にはおそらく「他人とは違う自分を表現したい」という意識がある。
だからこそ、心から自分を表現したくて創作をする人は盗作をしない。
他人とは違う自分、すなわち
「個性」と呼ばれる部分。
これを認めてもらうことで真の意味で表現欲求は満たされるからだ。

こ せい [1] 【個性】
ある個人を特徴づけている性質・性格。
その人固有の特性。パーソナリティー。 

出典:Weblio辞書

「亻」(人)の「固」有の「性」質=「個性」であるわけだ。
しかし、これを多数の人に芸術的観点から認めてもらうのは容易ではない。

人間が他人に興味を持つときは、主に2パターンある。
ひとつは、自分にはない性質を知りたいという知識欲にかられて。
もうひとつは、同志を探したいという集団帰属欲求にかられて。
この二つは相反する内容だが、どちらもよく見られることだ。

画家や作曲家、小説家などの作品が、死後に認められることもある。
そのくらい、生きているうちにすべてを認めてもらうのは難しい。
しかも、創作とはいえ似たようなことをやっている人だって多い。
その中でも、大衆の前で披露できるチャンスがある人は一握りしかいないのだ。

最近では、ウェブという広大な場所に作品を載せることもできる。
不特定多数の人の目に触れるには絶好の場所だ。
だが、ここにも星の数ほどの作品が次々とアップロードされる。

唯一無二の個性を感じさせるような、フックのある作品であること。
そして興味を持ってくれた人が共感できる大衆性があること。
最低でもこの二つを満たしていないと、人の心は次から次へと移ってしまう。

ウェブツールがあるにしろ、ないにしろ、本当に難しい。
突飛なことをやればいいわけではないし、無難なことをやればいいわけでもない。
創作する人たちは、日々試行錯誤して発表し続けるしかないのだ。

たとえたった一人でも、認めてもらえたときの感情は他で味わえない。
名が売れようが売れまいが、その一人ために創作活動を続けている人もいる。

個性と大衆性が共存する作品づくりの難しさよりも、一瞬の幸福感のほうがはるかに大きいのだ。

そのことを知っている人たちはきっと創作をやめることはないのだろう。