あの場所で僕らが生きていた頃、世界は無限大だった

"ポップな"魔界の酔いどれ詩人Yukoの言葉たち

【第1回】創作に関する考察①ルールを守ればレールはいくつあってもいい

創作とは何か。

そう さく さう- [0] 【創作】( 名 ) スル
①それまでなかったものを初めてつくりだすこと。
②翻訳などに対して,作家の主体的創造力によって芸術作品をつくりだすこと。また,その作品。
③事実でなく想像によってつくりだすこと。また,その話など。

出典:Weblio辞書

基本的にはこういった記載がされている。

私は自分の活動に関して、多くの場合「創作活動をしている」と説明している。
音楽というにはいわゆるJ-POP的な要素が足りないし、文学というにはいささか率直すぎて泥臭い。
しかし創作という言葉の意味には80%くらいは適合しているかと自己判断した結果、行き着いた先なのだ。

たまに音楽や美術など創作のプロの盗作疑惑が発覚してニュースになることがある。
誰が見ても"オマージュ"なんていうレベルではなく、もはや救いようのないもの。
ウェブ上の話でもよく問題になる"コピペ"というやつだ。
カネをもらっているのに、なぜ初歩的なルールを守れず、過ちを犯したのか。
それは、彼らに表現の欲求がないからでは?と考えている。

プロでもアマでも、創作をしている人の多くは表現に飢えている。
自分自身以外のあらゆるものに影響を受け、触発されて何かを作っているのだ。
何かを表現しようという気持ちだけがその人を動かしていることも多々ある。
しかし、盗作をするような人は表現したいという欲求に乏しく、カネや名声など表現以外の目的のために動いているのではないだろうか。

人類の歴史は長く、実に様々な文化が生まれている。
真の意味で新しいものなんて、そう簡単に生まれることはない。
音楽史上で言えば「THE BEATLESがあらゆることをやりきった」という話だ。
今を生きている人たちは皆、先人の知恵や経験を生かすもの。
多少の類似点が出るのは仕方がないことなのだ。
こんなにもたくさんの作品があふれかえった世界では「違う、これは盗作ではない」と言い張っても大した意味がない。

それよりも今は「いかに組み合わせるか」という時代。
いわゆる"先人のいいとこ取り"というやつだ。
表現したいことに対して最適な方法を選んで創作する。
しかし、そこには暗黙のルールがある。
大多数の人が盗作と思わない程度に止めなくては認められない、というルールが。
盗作をしてしまう人は、そのルールを読み取れなかったのだ。
ルールさえ守っていれば、その人がどんなレールを敷こうが誰も文句を言わない。

それが創作の醍醐味なのだから。